| 掲載日 | 令和7年1月21日 |
|---|---|
| 担当 | 文化財課 原田敏照 |
| TEL | 0852-22-5879 |
| FAX | 0852-22-5794 |
| メール | bunkazai@pref.shimane.lg.jp |
138 島根県指定文化財の指定について
令和7年1月21日(火)に開催された島根県文化財保護審議会において、下記の文化財を島根県指定有形文化財に指定するよう答申されました。
1 種 別 有形文化財(考古資料)
2 名称・員数 大座西古墳群出土品(おおざにしこふんぐんしゅつどひん) 一括
3 所有者 隠岐の島町
4 所在地 隠岐郡隠岐の島町今津346-2
5 時 代 古墳時代後期~奈良時代 (6世紀後半~8世紀)
6 古墳の概要
大座西古墳群は、埋葬施設が横穴式石室の古墳2基で構成され、隠岐郡隠岐の島町下西の西郷湾に面した標高45~50mの丘陵に所在
今回指定対象の出土品は、平成14年度及び16年度の発掘調査で出土し、その年代から2号墳(6世紀後半)、1号墳(6世紀末~7世紀前半)の順に築造されたことが推測される。
7 出土品の概要
(1) 1号墳
残された副葬品は僅かではあるが、7世紀前半の環付足金具の出土により、階層の高い者が持つ装飾付大刀の副葬が推測され、有力豪族の墓であることが推測される。
(2) 2号墳
石室内を中心に大量の副葬品が出土し、須恵器の製作年代等から少なくとも3次にわたる埋葬がなされたと推測される。(6世紀後半、7世紀前半、8世紀初頭)
① 初期埋葬時(6世紀後半)の副葬品
多くの種類の土器(須恵器・土師器)、鉄製武器(大刀・矛・鉄鏃)、鉄製工具(刀子)、鉄斧、ヤリガンナ)、装飾品(耳環、玉類)が見られ、隠岐諸島の6世紀後半の有力豪族の古墳副葬品の全体像を知ることができる資料である。
② 最終埋葬時(8世紀初頭)の副葬品
畿内産の土師器や県内出土事例が少ない銅椀、一式で出土する事例が限られる銙帯金具が見られる。銙帯金具一式の出土から、被葬者が奈良時代の官人(かんじん)の身分をもった人物と推測され、当時の郡司である可能性がある。
8 指定の理由
本資料は、古墳時代の在地の有力豪族が、世代を経る中で、奈良時代には律令官人となる過程を一つの古墳群内で辿ることができる貴重な一括資料であり、県内でも類例がないことから、県指定文化財として保護することが適当である。
9 資料内訳
※ 別添のとおり
【参考】
(1)今回の答申により、県指定の有形文化財の件数は216件(うち、考古資料は18件)となる。
(2)有形文化財の指定は、令和5年以来2年ぶり(考古資料は令和元年以来6年ぶり)となる。
1 種 別 有形文化財(考古資料)
2 名称・員数 大座西古墳群出土品(おおざにしこふんぐんしゅつどひん) 一括
3 所有者 隠岐の島町
4 所在地 隠岐郡隠岐の島町今津346-2
5 時 代 古墳時代後期~奈良時代 (6世紀後半~8世紀)
6 古墳の概要
大座西古墳群は、埋葬施設が横穴式石室の古墳2基で構成され、隠岐郡隠岐の島町下西の西郷湾に面した標高45~50mの丘陵に所在
今回指定対象の出土品は、平成14年度及び16年度の発掘調査で出土し、その年代から2号墳(6世紀後半)、1号墳(6世紀末~7世紀前半)の順に築造されたことが推測される。
7 出土品の概要
(1) 1号墳
残された副葬品は僅かではあるが、7世紀前半の環付足金具の出土により、階層の高い者が持つ装飾付大刀の副葬が推測され、有力豪族の墓であることが推測される。
(2) 2号墳
石室内を中心に大量の副葬品が出土し、須恵器の製作年代等から少なくとも3次にわたる埋葬がなされたと推測される。(6世紀後半、7世紀前半、8世紀初頭)
① 初期埋葬時(6世紀後半)の副葬品
多くの種類の土器(須恵器・土師器)、鉄製武器(大刀・矛・鉄鏃)、鉄製工具(刀子)、鉄斧、ヤリガンナ)、装飾品(耳環、玉類)が見られ、隠岐諸島の6世紀後半の有力豪族の古墳副葬品の全体像を知ることができる資料である。
② 最終埋葬時(8世紀初頭)の副葬品
畿内産の土師器や県内出土事例が少ない銅椀、一式で出土する事例が限られる銙帯金具が見られる。銙帯金具一式の出土から、被葬者が奈良時代の官人(かんじん)の身分をもった人物と推測され、当時の郡司である可能性がある。
8 指定の理由
本資料は、古墳時代の在地の有力豪族が、世代を経る中で、奈良時代には律令官人となる過程を一つの古墳群内で辿ることができる貴重な一括資料であり、県内でも類例がないことから、県指定文化財として保護することが適当である。
9 資料内訳
※ 別添のとおり
【参考】
(1)今回の答申により、県指定の有形文化財の件数は216件(うち、考古資料は18件)となる。
(2)有形文化財の指定は、令和5年以来2年ぶり(考古資料は令和元年以来6年ぶり)となる。