137 名分丸山(みょうぶんまるやま)1号墳で埋葬施設を確認


 島根県古代文化センターでは、考古基礎資料調査研究事業(墓制調査)として、県内で最古段階の前方後方墳と推定されてきた名分丸山1号墳(松江市鹿島町名分)の発掘調査を行っています。このたび、埋葬施設や墳丘の形態・構造、古墳の築造年代について新たな所見を得ることができましたので、その成果を公開します。

1 今回の調査と成果
(1) 調査期間:令和4年11月14日~12月下旬(予定)
(2) 主な調査成果
①  埋葬施設(木棺が陥没した落ち込み)2箇所を確認:後方部の墳頂面において、2箇所の落ち込みを検出した。東側の落ち込みは長さ約4㍍、幅約80㌢、西側の落ち込 みは全形不明。これらは下層に存在する木棺が腐朽したことによる陥没痕と想定される。このことから、墳丘主軸に平行して2基の埋葬施設が並んで設けられていることが明らかになった。
②  棺上に供献された土器を確認:上記東側の落ち込み内から、土器片がまとまって出土した。棺を埋めた後におこなわれた儀礼時に供献されたものと考えられる。現在検討を進めている途中であるが、土器は4世紀前半頃のものとみられる。
③  前方部がバチ形に開く墳丘形態を確認:前方部に複数設けた調査区で、墳丘の輪郭 に相当するライン(墳(ふん)裾(すそ))を検出した。これにより、前方部前端が大きく開く平面形であることが確定した。このような形態は出現期の前方後円墳・後方墳に採用されることが多い。
④  墳丘の築造方法を確認:墳丘の大部分は地山を削り出して成形し、後方部に盛土をして古墳を築造していることが明らかになった。

2 調査の意義
 列島各地域における前方後円墳・後方墳の出現は、ヤマト王権と地域勢力との関係性や、倭国の統合過程を反映するものと考えられている。前方後円墳・後方墳がいつ、どのように登場するのかという点は、古墳時代の始まり~国家の形成過程を知る上で重要な課題である。
 名分丸山1号墳はこれまで、前方部がバチ形に開くようにみえること、周辺地域に古相の前期古墳(方墳など)が多く築かれていることから、出雲地域で最古段階の前方後方墳ではないかと推定されてきた。今回の発掘調査で確認した土器や前方部の形状から、こうした推定が正しく、古墳時代前期に築かれた、出雲地域では出現期にあたる前方後方墳のひとつであることが確定した。松江市鹿島町域は日本海に開け、弥生時代から広域交流が活発に行われた地域であり、ヤマト王権と出雲地域との交渉過程を示す重要な手がかりが得られた。

3 現地説明会の開催
調査成果を公開するために、現地説明会を開催します。
・日  時:令和4年12月18日(日)14:00~15:00(小雨決行)
・開催場所:名分丸山1号墳 現地(松江市鹿島町名分)
      駐車場は松江市役所鹿島支所(松江市鹿島町佐陀本郷640番地1)
      ※駐車場から名分丸山1号墳まで約800m(徒歩15分程度)です。
・そ の 他 申込み不要/当日のお問い合わせ 090-1013-7841(古代文化センター)

4 【参考】名分丸山1号墳の概要
・所在地 島根県松江市鹿島町名分字丸山
・墳 丘 前方後方墳/墳丘長40㍍
・経 緯 昭和58(1983)年3月、中国電力原子力発電所PR館の移設計画を受けて、鹿島町教育委員会が測量調査を実施。大型の前方後方墳であることが判明したため、事業計画は中止。用地は鹿島町が取得(現在は松江市所有地)。これまで発掘調査はおこなわれていない。